学仏大悲心

南無阿弥陀仏 唯信仏語 唯順祖教
学仏大悲心 TOP  >  2011年03月

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石泉僧叡和上『柴門玄話』 おまけ

今回取り上げた、石泉僧叡和上の『柴門玄話』は、のちに本願寺派の勧学寮頭、また宗学院教授、龍谷大学教授となられた、是山恵覚和上(1857~1931年)が明治時代に出版されています。
是山和上は空華学派の大成者・松島善譲和上ならびに、僧叡和上の孫弟子である浄観和上の弟子で、行信論は空華学派の影響が強い一方、行信論以外はかなり石泉学派の影響が強いようですね。
また、善譲和上も僧叡和上の書物は読まれていたとか。

ちなみに石泉僧叡和上は1817年、本山の安居にて無量寿経を講じた際に、その行信論が物議を醸し取調べを受けたそうで、この『柴門玄話』はそれに対する弁明の書の意味があったようです。
結局異安心ではないとされましたが、本山から目をつけられたようで、1824年に勧学制度が制定された際にも勧学には選ばれませんでしたが、司教の一人にはなられています。その二年後往生されていることもあり、生前は勧学には就任されませんでしたが、明治期になり書物が出版されるとその精緻な宗学が認められ、勧学の号が贈られたとか。ただ、そんな中で僧叡和上のお弟子がたはなんと五人も勧学になったそうです(!)

石泉学派は異端とされている学派である、僧叡和上は弾圧を受けた、という人がありますが、どうもそれはオーバートークで
三業惑乱の混乱がいまだ冷めやらぬ当時の時代背景の中で、僧叡和上はその行信論に関して誤解され、目をつけられた→没後に再評価 といったところが実際でしょうね。
ただ、大行論に関しては僧叡和上の説をそのまま踏襲する真宗学者さんは現代にはいないでしょうが……

(『宗学院論輯6』『近世の精神生活』、また専徳寺さんのサイト等を参考にさせていただきました)

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[ 2011/03/05 20:52 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)

石泉僧叡和上『柴門玄話』より

「願力とは名号のことなり」

「信というはかの願力の回入して衆生の内心に在るものなり。願力こころに受けられて自力に離れたるを信と云う。これすなわち二種深信のすがたにて、信機の故に自力を離れ、信法の故に願力を受く。三信を釈する中に広く示すが如し。かの釈は二種深信を宗骨とす。深信は信楽なり、信楽もとより機法の二義を具す。信楽分かれて初後の二心となる、信楽本具の故に至心も欲生もこの二義を出でず、一より二を開し、二を合に即一信楽心、自力浄尽しただ願力これ存す。これを往相回向の大信とす」

「それ信心というは心中に快く名号を受けられたるなり。名号の外はすべて雑行雑修自力、その雑行雑修自力の心を捨離して、以斯義故必得往生とある名号の信知せられたるを快く受けたりとす。されば信心というはただこれ名号を内心に獲得したるなり。中興上人近く宝章にのたまわく、信心というはいかようなることぞといえば、ただ南無阿弥陀仏なり、この南無阿弥陀仏のこころをくわしく知りたるがすなわち他力信心のすがたなり」

○信心の体は南無阿弥陀仏以外にはない
○捨自帰他=二種深信=信機信法 自力を離れて名号願力をたのむばかり

やっぱりここですね……。

南無阿弥陀仏

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[ 2011/03/05 19:11 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)


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