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石泉僧叡和上『柴門玄話』 おまけ

今回取り上げた、石泉僧叡和上の『柴門玄話』は、のちに本願寺派の勧学寮頭、また宗学院教授、龍谷大学教授となられた、是山恵覚和上(1857~1931年)が明治時代に出版されています。
是山和上は空華学派の大成者・松島善譲和上ならびに、僧叡和上の孫弟子である浄観和上の弟子で、行信論は空華学派の影響が強い一方、行信論以外はかなり石泉学派の影響が強いようですね。
また、善譲和上も僧叡和上の書物は読まれていたとか。

ちなみに石泉僧叡和上は1817年、本山の安居にて無量寿経を講じた際に、その行信論が物議を醸し取調べを受けたそうで、この『柴門玄話』はそれに対する弁明の書の意味があったようです。
結局異安心ではないとされましたが、本山から目をつけられたようで、1824年に勧学制度が制定された際にも勧学には選ばれませんでしたが、司教の一人にはなられています。その二年後往生されていることもあり、生前は勧学には就任されませんでしたが、明治期になり書物が出版されるとその精緻な宗学が認められ、勧学の号が贈られたとか。ただ、そんな中で僧叡和上のお弟子がたはなんと五人も勧学になったそうです(!)

石泉学派は異端とされている学派である、僧叡和上は弾圧を受けた、という人がありますが、どうもそれはオーバートークで
三業惑乱の混乱がいまだ冷めやらぬ当時の時代背景の中で、僧叡和上はその行信論に関して誤解され、目をつけられた→没後に再評価 といったところが実際でしょうね。
ただ、大行論に関しては僧叡和上の説をそのまま踏襲する真宗学者さんは現代にはいないでしょうが……

(『宗学院論輯6』『近世の精神生活』、また専徳寺さんのサイト等を参考にさせていただきました)

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[ 2011/03/05 20:52 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)
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