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自力のはからい

今回も、稲城和上『蓮如上人のことば』(法蔵館)からです。


聴聞する場合、はじめから如実に聞くことは稀であろう。必ず聞き損うものである。この聞き損ないの機を二十願の立場という。……如実の聞と不如実の聞によって十八願と二十願とに分かれるのである。しかれば聞き損ないは何処に存するのであろうか。二十願の立場は行信各別といわれる。行である名号、念仏を彼方におく。それゆえ自らの造作を是認せざるを得ないことになる。信仰の対象として彼方におく。それゆえ、自らの聞くことや信ずることがすべて役立つのである。
 十八願の立場は、名号法は自らの求めに先行して既に与えられていることを前提とする。いつでも、どこでも、だれにでもすでに与えられているのが名号六字の法である。それを聞くので自らの造作は全く介入する余地は存しない。ここに聞即信といわれ、聞信の一念に即得往生の益を得る平生業成の義が成立するのである。それゆえ、自らの聞き間違いを明らかに聞き分けることである。自らの造作を加える必要がないから、誰でもいつでもどこでも通ずるのである。 しかるに最も妨害するのは自力のはからい、自力心である。熱心に聞く人ほど自力心が強くはたらくものである。それはすべて救いの法を彼におきかえ、自らの聞くことが先行することである。妙好人にはプラスになる面とマイナスになる面とが考えられる。多くの人はプラスになるものしか考えていないようである。しかし妙好人がモデルになると、法を聞く最大の邪魔者となるであろう。「あの人のようにならねば」となるからである。彼等に共通していえることは、法を聞くのに実に苦労していることだ。最後には捨てばちになる。浄土真宗の立場は本願成就を第一前提とする。
 救いの法が、私が求めるに先行して既に与えられているのである。それを逆に聞くことが聞き損ないといわれ、難信の法といわれるのである。この如実の聞と不如実の聞の相違をよく聞きわけることが最も重要である。

(P200~202)


真宗は全分他力の全くの易行でありながら、自力のはからいが難信の法にしてしまっているのだという事がよくわかります。
自分の「聞く」という造作に力を入れるのではなく、すでに完成され与えられている名号法のいわれを聞くのが真宗の聴聞という事ですね…。
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[ 2011/05/30 22:47 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)
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